塚地武雅の出身高校や学歴などについて

塚地武雅さんは、2001年にフジテレビ系列のバラエティー番組「はねるのトびら」や

「エンタの神様」で人気芸人となり、2003年頃から俳優としても注目を集めています。

この記事では、塚地武雅さんの学歴や芸人になったきっかけについて紹介します。

是非、最後までお読みください。

 

塚地武雅の出身小学校は

塚地武雅さんの出身地は、大阪府泉南郡阪南町(現 阪南市)。父親は大手製鉄会社に勤務。

2人兄弟の長男で弟がいます。父親は昔気質で、礼儀に厳しかったようです。

出身小学校は公表されていませんが、出身中学校の校区からすると、

阪南市立西鳥取小学校・阪南市立上荘小学校・阪南市立波太小学校の

いずれかに通っていたと思われます。

小学校時代の塚地さんは、漫画が大好きで、将来は漫画家になりたいと思っていました。

また、小学校の頃から、クラスで面白いことをやって周りを喜ばせるのが好きでした。

この頃から、お笑いへの興味があったのでしょうね。

 

塚地武雅の出身中学校は

塚地武雅さんの出身中学校は、阪南市立鳥取中学校です。

出身者には芸人の和泉修さん、辻本秀雄さんなどがいます。

中学時代は、剣道部に所属していました。

幼少期から特撮ヒーローが好きで、中学の頃にはアクションスターになりたいと思って

いたこともあったといいます。

お笑いも好きで、自分でネタを作ったりもしていました。

お笑い好きの先輩に芸を伝授してもらったり、先輩から大喜利のお題をもらったりも

していたようなので、お笑いのセンスはこの頃に磨かれたものかもしれません。

 

塚地武雅の出身高校は

塚地武雅さんの出身高校は、大阪府立佐野高等学校です。

出身者には、山本浩之さん(アナウンサー)、松浪健四郎さん(元衆議院議員)、中田はじめさん

(コメディアン)がいます。

高校時代も、剣道部に所属。剣道部では主力選手として活躍していました。

ダウンタウンに夢中になり、ラジオにハガキを送っていたといい、高校を卒業する頃に両親に

「お笑いをやりたい」と伝えると、「とにかく大学に行け」と言われ、高校を卒業後は大学進学

を目指しました。

高校の全教科の先生のモノマネをして、学校中で人気者でした。

当時は、女子にもかなりモテていたようです。

高校時代を振り返り、「人を笑わせることの快感にとりつかれて、みんなが笑ってくれることに喜び

を感じ、ウケるってことの感覚を味わった。」と語っています。

芸人としての資質と、人気の高さはこの頃からあったんですね。

塚地武雅の出身大学と芸人になったきっかけ

塚地武雅さんの出身大学は桃山学院大学 経済学部です。1年の浪人生活を経て入学しました。

大学時代にはテニスとスキーのサークルに在籍しており、副部長を務めていました。

また、当時は瘦せていて、茶髪でチャラチャラしていたそうです。

大学に行ってからも芸人になりたいという気持ちはあったものの、大学まで出してもらって

就職しないとは言えず、大学卒業後は仏壇メーカーに就職し、営業を担当していた。

就職してからも意識せず、通勤の行き帰りに手帳の白いページにネタを書くのが日課となって

いた。気がついたら手帳が2冊目となっていて、自分の芸人への気持ちに気づいた。

芸人になりたいと両親に打ち明け、猛反対を押し切り会社を退社しました。

24歳で芸人を志し、スクールJCAに入学する。そこで、相方の鈴木拓と出会い1996年に

コンビを結成する。

安定した会社勤めを辞めると打ち明けると、会社の上司や友達、親戚にも”アホちゃうか”と相当のプ

レッシャーを受けたそうですが、もし芸人を諦めて会社勤めを続けていたとしても、いづれまた同じ

思いになるでしょう。きっと、後悔したと思います。

ただ、会社勤めをした経験は、芸人にも俳優にも役立っていると思います。

 

塚地武雅の学歴と芸人になったきっかけ まとめ

塚地武雅さんの出身小学校は不明。

出身中学校は、阪南市立鳥取中学校。

出身高校は、大阪府立佐野高等学校。

出身大学は、桃山学院大学 経済学部 であることがわかりました。

大学卒業後、仏壇メーカーに就職しますが、芸人への夢を捨てきれず、退社しました。

24歳で芸人を志し、スクールJCAに入学し、相方の鈴木拓さんと出会い、1996年に

コンビを結成しました。

現在も、お笑い芸人と個性派俳優として大活躍していますね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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