7色のボイスを持ち、マルチに活動している声優で俳優の宮野真守さん。
声優だけでなく個性派俳優、歌手、ミュージカル俳優、バラエティー番組など、
活躍は多岐にわたっています。出身校や学歴などが気になりました。
今回は宮野真守の出身校はどこ?小中学校など学歴を紹介していきます
是非、最後までお読みください。
宮野真守の出身小学校と 中学校
宮野真守さんの出身小学校について調べましたが、詳細は不明。
出身は埼玉県で、埼玉県内の公立小学校のようですが、校名まではわかりませんでした。
先に劇団に入っていた兄の影響により、1990年の7歳から劇団ひまわりに所属しています。
初仕事は小学校1年生の時に出演した『西友大市』。小学校5年生の時に初めての大舞台として、
劇団ひまわりの本公演『スクルージ』のピーター・クラチット役で高く評価されたことが、役者人生において大きな転機になった。
当時、レッスンはさぼりがちだったが、本公演に参加したり、エキストラの仕事には行っていた。
そういう環境に身を置いていたため、「なんとなく、僕は役者になるんだ」とこの頃から思っていたのかもしれない。
宮野真守さんの出身中学校は、埼玉県上福岡市(現在はふじみ野市)の公立校の福岡中学校が有力です。
中学校時代はサッカー部に所属。
1995年のドラマ『3年B組金八先生スペシャルⅨ』に生徒役で出演もしていたそうです。
宮野真守の高校時代の部活はサッカー部
宮野真守さんの出身高校は、和光国際高校。和国(わこく)と呼ばれていて、全国で初めての国際高校です。
外国語科と普通科があり、おそらく宮野真守さんは普通科に通っていたと思われます。
和光国際高校の出身の有名人は、小池純輝(サッカー選手)、野澤英之(プロサッカー選手)、濱田水輝(プロサッカー選手)、渋谷ジャパン(Youtuber)、田附勝(写真家)です。
宮野真守さんは、高校でもサッカー部に所属していました。
サッカーでの有名人が多い高校なので、部活は厳しかったのではないかと思われます。
高校に進学してからも、劇団の活動は続けていました。部活動と劇団の両立は大変で、部活の皆にも親にも迷惑をかけたと語っています。
例えば、試合の日に劇団で活動があり、部活動、合宿に参加できないことがあった。そういうことが続くとだんだん申し訳なくなってしまい、監督に「みんなに迷惑がかかるのでやめたほうがいいのではないか」と相談したこともあった。
その時、監督が「ここまでやってきたんだから、最後まで一緒にやろう」と言ってくれてとても嬉しく「本当に恵まれた環境に自分は居られたんだな」と感じていた。
わがままながら、両方続けてきた価値は大きく、サッカー部ではいい仲間に巡り会えたし、人間として成長ができる体験をたくさん与えてくれた高校生活だった。
宮野真守の高校時代
高校時代は体育祭では応援団長、文化祭でもいろんなことをやって、ダンスパフォーマンス、
ダンスボーカル、バンド、コントとか。
常にステージの上にいて、降りる暇がなかったくらい。
今、舞台やテレビ番組で活躍されている姿と変わらないですよね。
原点は、ここで培われたのかもしれないですね。
子役時代から、中学、高校になっても舞台ではチョイ役で、テレビ番組でもエキストラだったり、
高校卒業にさしかかり、今後の進路に焦りを覚えはじめます。
友人は次々に進路が決まり、当時は悩んでいた時期でもあったため、教師に「今から進学でも
大丈夫ですか?」と聞いたところ、「えっ、今から?」「じゃあ、どうするの?」と驚かれる。
高校3年生の18歳の時に、当時のマネージャーに「ちょっと声優の仕事があるんだけど、受けてみない?」と言われ、「もちろんやります」と言って、NHK教育の海外ドラマ『私はケイトリン』の
オーディションに合格し、声優としてデビューします。
宮野真守の大学
宮野真守さんは大学に進学していません。
高校卒業後は書店でアルバイトをしながら、劇団ひまわりの全日制クラスに入りました。
本格的に歌やダンスのレッスンを受け、後の歌手としてのスタイルに近い音楽と出会います。
声優デビューを皮切りに、アニメ、ゲームなどの仕事が途絶えなくなりました。
18歳で声優のオーディションに受からなければ、芸能界を辞めていたかもしれないと、語っています。
まとめ 宮野真守の出身高校はどこ?小中学校 学歴などを紹介
今回は、声優で、舞台やドラマ、バラエティー番組などでも活躍する、宮野真守さんの
出身高校、小中学校、大学などの学歴などについて調べました。
出身小学校は明かされていませんでした。
出身中学校は埼玉県上福岡市(現在はふじみ野市)の福岡中学校が有力。
出身高校は和光国際高校。大学には、進学していないことがわかりました
最後までお読みいただきありがとうございました。
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